インドア派Around40ゲイの日記

アラフォーゲイが日々のことや過去のことを書きなぐるブログ

言葉の力

小学校高学年ころまでのことを綴ってきました。以前の記事にも少し書きましたが、このころから徐々にいじめのようなことを受けるようになっていきます。「いじめのようなこと」と書いてしまうのははっきりと「いじめ」と書きたくない思いからなのかな。

 

その中で「言葉によるいじめ」というのがあります。言葉によるものって、身体的には何もないから、言った方にしてみれば大したことないって思うのかもしれませんが、言われた方にしてみれば、下手したら一生引きずるんじゃないかと思います。現に、僕は昔言われたことを今でも覚えています。

「この歌詞・言葉に励まされました、勇気が出ました、がんばれました」みたいなことを聞くことがありますが、言葉一つで励まされることがあるのならば、言葉一つで人を十分に傷つけることがあるんだということを忘れないようにしたいと思っています。

そう思っているはずなのに、親から電話がかかってきたときにイライラして、ちょっとひどいことを言ってしまう自分に自己嫌悪。やはり親とはある程度の距離が必要だと改めて思ってしまいます。

 

僕はゲイの中でも「おかま~」とか言われていじめられた人の一人です。この言葉は本当に嫌いです。今でも、この言葉をどこかで言っているのが聞こえると「自分のことを言われているのかな?」と被害妄想全開で思ってしまうくらい。

同じゲイの中でも「女っぽい人はごめんなさい」とか「おねぇは嫌いです」とか見ることがあると思います。まぁ、それは人それぞれの好みはあって当然だと思います。でも、ちょっとおねぇっぽい口調だとか女の子っぽい仕草だとか、本人としてはしようと思ってしているんじゃないんですよね。今の僕は、もし「おねぇ全開で話してみて。」と言われて、相手もそのノリだったら話せるかもしれませんけど笑

 

ゲイの人の発言で「おねぇやおかまは性同一性障害で女になりたいんでしょ?一緒にしないでほしい。」というようなものがありました。まぁ、「ゲイである」ということだけが共通項では分かり合うのは難しいんでしょうけど、ただでさえセクシャルマイノリティといわれる決して広くはない世界なのに、その中でもまた隔たりができてしまうのはちょっと寂しい気もします。かといって「すべてのゲイと仲良くなろう!」みたいな幻想を抱くことはしませんが。

そもそも、性自認や性的指向についての理解がない方の発言だとは思いますが、当事者のゲイでもこれくらいの認識だとすると、いわゆるストレートといわれる方たちの中でLGBTQといったことに関心のない方に理解してもらうのはやはり大変ですよね。

 

もう一つ、「男(の子)なんだから」という言葉。特に親からは何度言われたかわかりません。「男だろうが女だろうが関係ないじゃん」と言い返したところで余計に怒らせることになり…。この年になったから振り返ることができますが、言葉で追い込まれると自己肯定感がなくなっていきます。

 

本当に言葉ってすごい力がありますよね。「おねぇの人の毒舌が好き」というようなことも聞きますが、言う相手とその言葉を見極めているからで、決して相手を追い込むようなものになっていないからだと思います。

ぜひともプラスの方向に言葉を使っていきたいものです。

 

 

90年代の応援歌その1

負けないで (1993) / ZARD


負けないで/ZARD