インドア派Around40ゲイの日記

アラフォーゲイが日々のことや過去のことを書きなぐるブログ

過去の話-3 ---中学校時代

前回からずいぶんと間が空いてしまいました。う~ん、思い返せば返すほど嫌なことばかりが思い返されるんですよね、中学時代って。きっと、楽しいことだってあったはずで、毎日毎日がツラいことしかなかった、というわけでは決してなかったと思います。学年の全生徒が自分の敵というわけではもちろんなかったですし、殴ったりしてきたのはごく一部の人たちでしたし。それでも嫌なことばかりが蘇ってくるのは、人ってマイナスの思い出の方が印象に残るんでしょうね。なんでもない日常って平和で幸せなんですね。

なので、ここから先結構暗い話題が続きますので、読みたい方だけ「続きを読む」をどうぞ。

中学校になって制服を着るようになると、小学校時代よりも「男女」を意識するようになるのかと思います。ちなみに僕の通っていた中学校は、男子は学ランや詰襟と言われる制服でした。窮屈で好きじゃなかったな。

僕の中学は2つの小学校から生徒が集まっていました。僕の出身校ではない方の小学校出身の子たちは、僕の出身小学校の子たちとはタイプが違う子が多かったような気がします。よく言えばパワフル、悪く言えば粗野みたいな感じだったかな、男女とも。 

 

記憶から抜け落ちていることも多いんですが、当時のプラス面マイナス面を書き出していこうかなと思います。

 

  • プラス面

・友達はやっぱり女子中心、多少の距離は置くようになったけどそれでも仲良くしてくれた子たちには感謝しているし、この時期を乗り越えられたのはその子たちの一助があったからだと思います。

 

・部活はまじめにやった

中学ではブラスバンド(吹奏楽)部に入っていました。これまた女子だらけの部ですね。一時期男子一人だけになったこともありました。一応3年間がんばりました。僕は変にまじめで、入ったからには必ず練習に出なくちゃというような強迫観念のようなものがあったため、部活を休むということはほとんどなかったと思います。

ただ、自分の一つの居場所でありつつも、仲がいい女子たちとも一定の距離をとるようになったと思います。きっと、殴られているところや暴言を浴びているところを見られたくない、恥ずかしいという思いもあったんでしょう。夏休みの練習中とか、お弁当を一緒に食べる人もいなく、一人で食べたり何も食べずに過ごしたこともあったけど、そんなことはたいしたことではなかったかな。別に食べなくても平気だったんですよね。そのせいで、背が伸びなかったのかもしれないですけどね。一人でいるのが楽だなぁと思うようになったのはこのころなのかもしれません。

 

・勉強は比較的できる方だった

成績は悪い方ではなかったです。学年トップの秀才とかではなかったですけど、それなりにテストの点数は取っていたような感じでした。だからある程度高校受験には選択肢があったかなと思います。親にしてみれば足りなかったみたいですが。

 

・猫を飼い始めた

最初に猫を飼い始めたのが中1のときだったと思います。唯一の癒しだったこともありました。今の猫好きにつながります。

 

…うん、いいことってこれくらいしか思い浮かばなかった。。でも、「授業⇒部活⇒塾」みたいな生活を何事もなく送れたら、それは平和な1日で、そんな平和な1日を送ることもそれなりにあったんじゃないかな。女友達とおしゃべりをしていた時はきっと楽しいときだったんだろうし、学校にはほぼ皆勤で通っていたので。部活同様に「行かなきゃ…」みたいな変な責任感みたいなものがあったのも確かです。親に休みたいとか言えなかったからってのもありますけどね。

塾の先生は20代後半くらいの男の先生で優しい人で大好きでした。同年代の男子がバカにしか見えなかったので、余計に。同級生を好きになるなんてことはありませんでした。

 

  • マイナス面

・身体的いじめも加わる

言葉でのいじめは相変わらずありました。中学から一緒になった人たちからも言われるようになり…。そこに一部の人からの身体的なものが加わりました。身体には痣があることも多かったと思います。思い出されるのが中1の頃、席の後ろに座ったクラスメイトが先生が見ていないすきに、たびたび背中を殴ってきたことです。「やめて」と何度言ってもムダでした。席替えをしたことにより授業中に殴られることはなくなっても、持ち物を壊されたりすることもありました。別のクラスメイトからはよく太ももを膝蹴りされてたんですけど、マジで痛いです。泣いたこともあります。僕の地域では「ももかん」とかって言われていました。本当に痛くて、立ち上がるのがつらくなることもしばしばでした。子どもながらに病院へ行った方がいいんじゃないかなと思ったこともありましたが、親には「なんかももが痛いんだよね」くらいしか言えなかったので、そのまま放置していました。

 

・宿泊行事は最悪

本当はみんな楽しみな修学旅行などの宿泊行事、1日中クラスメイト達と一緒にいなければならないのは「嫌」というより「恐怖」みたいな気持ちでした。事故にあって大けがすれば行かなくて済むのにって考えていました。参加しなくて済むのなら、校庭100周でもするよとか思ってました。

特にお風呂、「チ○チ○ついてんの?」とか言われたこともあり、「僕のことを無理やり動けないように(羽交い絞めのこと)して~」とひそひそ話をしているのを聞いてしまったんですよね。仮病でお風呂に入らなかったのか、どう乗り切ったのかよく覚えていません。

 

・トイレは危険

トイレって密室で、何をされるかわからない恐怖があったので、極力行かないようにしていました。女子同士が閉じ込めあいっこをしているのを目にすることもありましたし。行くとしたら、誰も使わないような遠くのトイレに行っていました。

 

・骨折を2回

1回は組体操の練習中に腕をケガしたんですけど、もう1回は誰かに蹴られた時のはずみだったか、何がどうなったのかよく覚えていませんが、足を骨折しました。この時は校長先生まで出てきましたが、先生の前で表面的に謝られたところで何て返せばいいんでしょう?クラスメイトとその親が家まで謝りに来たのを母が怒って対応していたのは覚えています。

相次いでケガしていたことで、両親がけんかをしていました。「自分のせいなんだなぁ」っていう思いがありました。母は怒ると本当に鬼のような形相になるのですが、中学の頃はその形相をたびたび見ていました。今思い返すと何に怒っていたのかもよく覚えていませんが機嫌が悪いことが多かったような気がします。親の顔色を窺うようになったのも中学の頃だと思います。

 

・塾の男子からも嫌がらせが

運の悪いことに、塾に同じ中学校の男子が入ってきてしまい、そこからほかの中学の人に「あいつはおかまだ」みたいな話が広まり、その人たちから授業中に消しゴム投げられたりとか悪口を言われたりみたいなことがありました。

この時初めて親にいじめがあるみたいなことを言ったのですが、何の解決にもならず親に何かあっても相談することはやめようと思うようになりました。母は僕のことを思ってなのかもしれませんが、感情のまま突き進む面があり、その後僕がどういう立場になるか考えないんですよね。

仲のいい女子と塾が一緒だったことや、その人たちとはクラスが変わったりしたこともあり何とか乗り切りました。まぁ塾は学校以上に勉強する場所ですしね。

 

・落ち着く場所がなかった

学校でも塾でも家でも常に気を張っているような感じでした。僕は親には「おしゃべりな子」と思われている節があります。それはきっと学校での僕がどんなであるかを知られないために、自分から当たり障りのない話を振っていたんだと思います。それが違う意味で高校以降も続いた感じかな。

また学校へ行くのかと思うと朝が来るのが嫌でした。

 

 

うん、ここまで書いてきて、よく中学時代を乗り切ったなと不思議に思うくらいです。わずかながらの積極性や口が多少達者だったことなどがプラスに作用したのかもしれません。

 

そして、高校受験。親からは公立高校に行くことを命じられていました。上に姉がおり、私大に行っていたため経済面で公立しかダメということでした。で、公立高校は1校しか受けられないのでどこにすべきか非常に悩みました。今の受験制度は知りませんが、僕の受験するころくらいから、自分の住んでいる学区に加え、隣接する学区が受験が可能になりました。

そして、隣接学区のとある高校を選び受験、合格しました。それは特別そこの高校に行きたかったというよりも、自分の中学から一緒の高校に進学する人がいないところに行きたかった、それが一番の理由です。この選択は間違っていなかったようです。もし高校受験を今し直すなら同じ高校を選ぶか?と聞かれたら、おそらくNoだと思いますけどね。

---後は卒業式だけとなったころ、受験が終わると、卒業遠足やら球技大会やらで通常の授業はなくなりました。そのころ、初めてずる休み的なことをしました。1日は卒業遠足、ディズニーランドでした。ディズニーランドは好きでしたが、一緒に巡る人もいない中で1日過ごすのは苦行でしかありません。たまたま、高校に書類を提出する日と重なり、自分で出しに行く必要もなかったのですが「高校に書類提出に行かなきゃならない」と行って出席せずにすみました。もう1日は球技大会、ともかく嫌で仮病で休みました。ただ、仮病とはいっても、本当に体が動かなくなっていたんですよね。ある意味限界が近付いていたのかもしれないです。

 

そしてようやく卒業式。中学3年間の中で一番うれしかった日かもしれません。高校時代は中学に比べたらとっても平和で穏やかな日々でした。

 

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ここまで読んだ皆様の僕のイメージはとってもネガティブなものになるかと思います。僕も自分で読んでとってもネガティブな気分になりました。結構書くことにつかれました、泣けてきました笑。僕は元来ネガティブシンキングなんですけど、このころのことが今の考え方や行動に大きく影響していると思います、良くも悪くも。僕にも反省すべき点はあったのでしょうが、そういうことって精神的に余裕がないと考えられないんだなと大人になった今思います。

当時の自分に今声をかけるなら「何とか○年後もやっていけているから。」とでも言うでしょうか。当時の僕はそんなことを言われても聞く耳を持たないでしょうけどね。

 

90年代の応援歌その2

ヒバリのこころ (1991) / スピッツ

 さすがにリアルタイムでは知りませんでしたが、当時の自分にささげたいかも。


スピッツ / ヒバリのこころ