インドア派Around40ゲイの日記

アラフォーゲイが日々のことや過去のことを書きなぐるブログ

過去の話-3 --中学校時代(余談)~そりゃあ死ぬことも考えた~今:親にやさしい言葉もかけられない?

昨日の記事、僕の暗黒期1という感じで、思い出して文章化するということは正直なところ辛い面がありましたが、ある意味一番書きたかったことなのかもしれません。コメントでも書いたのですが、ここまでのことって誰にも言ったことがなくって(ちょっといじめられてたくらいはありますけど)、このように書く場があったから吐き出せたのだと思います。インターネットが当たり前の世となり、誰でもがブログやそのほかのツールで自分の思いを発信できる世の中に感謝です。

 

LGBTの人はストレートの人に比べて自殺(未遂)率が高いとはよく聞く話です。中1のときだったか中2のときだったか、足が自然と屋上の方に向かっていました。すべてがイヤで解放されたかったんだと思います。でも、途中で先生に出会い何か運びものを頼まれて引き返すこととなり、結局屋上には行きませんでした。だから今こうしてこの文章を書いているのかもしれません。もし、中学校が4年制だったら僕はもうここにいなかったかもしれないなぁとなんとなく思います。

 

僕はこんなことがあったからか、「いつ死んでもいい」と思って生きるようになりました。今でも程度の差はあれそう思ってしまうことがあります。自分よりもずっとずっと大切に思える人を見つけられれば変わるのかもしれないですね。

 

たびたびニュースで流れるいじめを苦にした自殺。僕はそんなニュースが流れるたびに「学校がすべてじゃないんだよ、逃げていいんだよ」という思いがわいてきます。当時の僕を思い返しても、小中学生って学校が生活の8, 9 割を占めていて、そこから外れるということはなかなか考えられなかったです。さらに時代が進んだ今、昔よりもさらに学校に縛られる必要はないだろうなと思います。

それとは別に、自殺した子に対して「ようやく楽になれたんだね」という気持ちもわいてきます。生きていることがただただつらかったんだろうなという気持ちを考えるとそう思わずにはいられないのです。もちろん、食い止めることができたのならばそれが一番良かったはずですが、せめて亡くなった子を責めないでほしいなと思います。死んでから「本当にいい子で…優しい子で…~に一生懸命で…」みたいな話が、同級生から出てくるのはともかく、担任などの周囲の大人から出てくるのもあんまり好きではありません。その子が生きているときにそれを思っていましたか?

 

最近、父がとある手術で入院しました。結構大きな手術だったそうです。しかし、僕からは手術前にも後にも何の連絡もしていなかったら、母から「何でお見舞いメールもしないのか」「年を取ると優しい言葉が欲しくなる」みたいなことを言われ「(内心いらいらしながら、)あぁ、そうか」と思い退院直前にメールをしました。きっと、僕は「いつ死んでもいい」ということを胸に抱えながら生きてきたからか、「場合によっては死ぬこともあり得る手術」と聞いても、そのことに対してそんなに思うこともなかったんですよね。冷たい人なんだと思います。もちろん、今の医療なら大丈夫だろうっていうことや、父が元気な人だったということもありますけど、もし自分だったら「死んだら死んだで仕方ないよね」って思えてしまうんです。

ただ、これが付き合っている人であったり、友人であったり、お世話になっている職場の人だったら、心から気にかけていたと思います(お見舞いメッセージを送るかは別として)。母に言われてメールをしましたが、そんなあからさまなメールを見た父はどう思ったのでしょうか?

僕も何度か手術の経験があって、全身麻酔をするときに「このまま目覚めなかったら、それはそれで幸せだろうな」って思いました。でも、今はこうして生きているので、どうせ生きているのなら楽しいことをして過ごしていこうと思えるようになってきたのは結構最近のことかもしれません。

 

00年代の応援歌その2

明日へ架ける橋 (2004) / 倉木麻衣


Ashita e kakeru hashi - 倉木麻衣 live