インドア派Around40ゲイの日記

アラフォーゲイが日々のことや過去のことを書きなぐるブログ

きのう何食べた?第3話だって見た~また家族について考えさせられた…

別に義務ではないことはわかっていますが、何となく記事にしないといけないような気がして、今回も記事にします<きのう何食べた?

このブログで記事にも書いた昨年放送の「となかぞ(隣の家族は青く見える)」でも、家族や家族のカタチについて考えさせられることは多かったのですが、今回のこちらのドラマもそんなことを考えさせられました。

史朗のクライアントの今田さんがお子さんとの面会交流のため(といっても離れたところから遊んでいる息子の姿を眺めるだけ)史朗も一緒に遊園地に行きました。

その帰り際の今田さんのセリフ「先生は話ちゃんと聞いてくれました。気持ちがしんどいときって、誰か一人でも親身になって話を聞いてくれる人がいれば安心するんですね。」

この言葉がきっかけで、シロさんは賢二にちゃんと話そうという気持ちになり、賢二はそのことを非常にうれしく思うわけですが…。

楽しいことだけではなく、しんどいときに誰かに話せますか?そしてその人は親身になって聞いてくれますか?

僕の場合、まず「話す」ということが結構ハードルが高いかも…って考えてしまいました。ちょっとした嫌なことやイライラすることだったら、べらべら喋れると思うんですけど、あるラインを越える事柄(そのラインが何かと問われてもはっきりとは言えないのですが…)特に家族のことなんかは話せるかなぁ。せっかく相手が親身に聞いてくれる人(恋人であれ友人であれ…)でも、話さないんじゃ始まらないですね。一人で抱え込んでしまう、というとかっこよく聞こえてしまいますが、話す勇気がないんでしょうね。そしてそのことがまた壁を作っているように相手に感じさせてしまうのかもしれないんだなぁ…、と過去を振り返りつつ感じていました。

 

そして、今回はゲイ以外の人はこういう認識なのかなぁと思ったのが、シロさんのお母さんの「史朗さんがゲイでも犯罪者でも、史朗さんのすべてを受け入れる覚悟はできているつもりよ」というセリフと、佳代子(田中美佐子さん)の旦那さんが「ゲイ同士仲良く友達になれるかな~って思って」という理由で、小日向(山本耕史さん)をシロさんに紹介したことです。

「自分の周りに同性愛者はいないだろう」って思っていないと出てこないセリフと行動だろうなぁという気がして。シロさんの言う通り「知っている」と「わかっている」は違いますよね。ゲイであれば誰とでも友達になれるわけではもちろんないですし。

僕が一番嫌なのは「わかった気になっている人」かもしれません。僕の母は僕がゲイであることを知っているはずです、…「はず」というのは以前(10年ちょっと前か)どういう流れでかは全く覚えていないのですが「男の人が好きなの?」というようなことを一度聞かれたことがあって、僕はうなずくしかなかったのですが(ここで嘘はつけなかった人 笑)、その後そういった話は一切していないからです。母はその後メールで「こういう(話を聞いてくれるような)ボランティア団体があるみたいよ~」みたいなメールをしてきたことがあって、僕にとっては今さら感満載のことで、「ありがとう」なんて思いがわいてくるはずもなく、それどころか怒りが込み上げてきたんですよね。それまでに散々、迷って悩んで傷ついてそれから理解して自分を受け入れて…ってしたはずのことなのに、どうしてかき乱すようなことを言ってくるんだろうって。もちろん善意から言ってきたんでしょうけど、中高生の頃だったならまだしも、20代後半の頃の話だったこともあり、そのことがかえって僕の精神状態をイライラの最高潮にさせました。たまたまそのメールを読んだのが新幹線の中で、携帯を投げつけたい気分にさせてくれました。

久しく忘れかけていたことなのですが、そんなことを思い出してしまいました。。。はぁ、GW実家に帰らなければならないのが憂鬱です。。

 

「どう?仲良くなれた?」「えぇ、とっても。」

f:id:tomo-aro40:20190420224059j:plain