インドア派Around40ゲイの日記

アラフォーゲイが日々のことや過去のことを書きなぐるブログ

ペットが亡くなるということ

昨日の4/29は命日でした、実家で飼っていた猫の1匹の。平成を振り返る企画が多い中、飼っていた猫たちについて振り返ります。

 

実家で飼っていた猫たちは主に3匹いました。まず1匹が僕が中1くらいの頃に迷い込んできて、身なりはきれいで首輪もしていたので、どこかで飼い主さんが探してると思ってこちらも探したのですが、見つからずそのまま家で飼うことに。女王様気質の白猫でした。

それから7年後くらいの雨の日のこと、大雨の中子猫の鳴く声が聞こえ、本当にちっちゃな子が助けを求めるかのように鳴いていました。生まれてからまだそんなにたっていないようで、大きさはハムスターくらいな感じでした。その子も結局そのまま飼うことに。おとなし目のキジトラくんでした。白猫は自分以外の猫が来たことが気に入らなかったらしく、最後まですごく仲良くはなりませんでしたが、まぁ晩年には「いるのを許そう」くらいには思ったのかもしれません。

同じくらいのころ、家の周りでノラの親子がいました。母猫とその子猫3匹で、動物病院からネズミ捕りの大きいものを借りて捕獲し、4匹とも手術を受けさせました。家の外の空いているところにホームセンターで買ってきた大きな犬小屋を置いて、その中に古い毛布を敷いたりして、親子はそこで寝てくれました。エサはキャットフードをあげて、本当によく食べていました。それでも、やっぱり外で暮らす子と家猫では寿命の長さが違うのも当たり前で、3匹は順番に亡くなっていきました。一番チビの子猫だけが残ったのですが、あるとても寒い日、ご飯をあげていた1階の勝手口のようなところからうちの中に飛び込んてきました。よっぽど寒かったんだと思います。勝手口は、もう使っていなかったお風呂場横の脱衣所のところにあって、その日からその子はそこに居座ることになりました。もともとノラなので、外に出たいときは外に出てて、寝るときや食べるときは戻ってきて…という感じでしたが、家の中が心地よかったのかだんだん家にいる時間が長くなっていきました。とはいっても、汚いけれども身体を洗うこともできず、白猫やキジトラと一緒にはできないので、その脱衣所だけがその猫の部屋となりました。トイレをいつまでもうまく使ってくれなかったのをおぼえています。

このように、最初は1匹だけだった猫が2匹になり、それから外に4匹がいるようになり、そのうち3匹は亡くなり残りの1匹が加わって、計3匹を飼っていました。

 

2011年の東日本大震災の年、ボケてきていた白猫は地震でも我関せずでひたすら寝ていたそうですが、キジトラはちょっとパニックをおこしたとか。そんなところにも性格が出るようです。そして、6月に白猫が亡くなりました。19歳だったので長生きしたと思います。この白猫、僕の姉の一人に一番なついていました。6月に亡くなってその年の9月に姉は結婚しました。誰にも言っていないことなのですが、「もうあたしがいなくても旦那さんがいるから大丈夫だよニェ?」って旅立っていったのかなってその時思いました。

その2年後の2013年、今度は元ノラのチビが亡くなりました。ちょうどそのすぐ後、姉は出産ししばらく実家で過ごしたのですが、そのチビがいた脱衣所とお風呂場を赤ちゃん用に使うことになりました。この時も「あたしがいちゃ邪魔だよニャ!」って言って旅立って行ったのかななんて考えていました。

そして、また2年後の2015年の4/29に最後まで残っていたキジトラが亡くなりました。白猫のときは顔に黄疸が出ていたりしたため、ある程度覚悟はできていたのですが、キジトラは突然でびっくりしました。16歳だったと思います。この子は母に一番なついていて、母がとある手術で入院する必要があったのですが、やっぱりその前に旅立つことで「安心して入院しろニャ」って言いたかったのかなぁなんて考えずにはいられませんでした。

 

それからはもうペットは飼っていません。飼い主のこじつけと言えばそうですが、昨日がキジトラの命日(僕は忘れていましたが)ということで思い出した、こんな話を書いてみました。僕は実家のある関東と関西を数年ごとに行き来していたこともあり、ず〜っと一緒にいたわけではないですが、それでも実家に帰ったときに猫たちがいないと寂しいなって今でも思います。

この話、誰かに話してみたいと思っていましたが話す機会もなくって、この場に書けてよかったなと思っています。

 

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