久しぶりに本の紹介記事です。重松清さんのお名前は知っていましたが、読んだことはなかったんですよね。「泣ける」といった感想を目にすることが多い作家さんという印象があり、涙腺が元々非常に弱い僕は「では、泣かされにいってみよう」と思い、何となくタイトルからこちらの本を選びました。なお、2008年に映画化もされているようです。
わたしは「みんな」を信じない、だからあんたと一緒にいる――。足の不自由な恵美ちゃんと病気がちな由香ちゃんは、ある事件がきっかけでクラスのだれとも付き合わなくなった。学校の人気者、ブンちゃんは、デキる転校生、モトくんのことが何となく面白くない……。優等生にひねた奴。弱虫に八方美人。それぞれの物語がちりばめられた、「友だち」のほんとうの意味をさがす連作長編。
各章ごとに主人公は異なるのですが、最初の章の主人公恵美ちゃんとその友だちの由香ちゃんの二人は、何らかの形で各章に登場します。
すごいな~とただただ思ったのが、小中学生の人間関係の描写が本当にどこかの教室を覗いているかのようなんです。章によって、主人公は女子だったり男子だったりするのですが、どの主人公も「こういう子いたなぁ」って思うような子だったり、中には「自分の中学時代とそっくりだな」って思う方もいるかもしれません。作者の重松清さんは1963年生まれ、最初の刊行が2005年とのことですので、当時42歳。40代の男性が小中学生の人間関係の難しさ・繊細さをこうも見事に描いていることにびっくりしました。もしかしたら、そういう人間関係って何十年も前から変わっていないのかもしれないですね。人間関係が描かれるということは、いじめの様子も描かれます。ちょっと心にずしりと来ます。
特に僕が「昔の僕がいた教室を覗かれてる?」と感じたのが「堀田ちゃん」という女の子が主人公の話。八方美人で、クラスの人間関係の相関図を書いているような子です。中学生女子の人間関係って複雑ですよね。いくつかのグループがあって、こっちのグループにいたある子が、ある日そのグループから抜けて、ぎこちなくほかのグループにいる…僕はもちろん当事者ではなかったですが、そういうことに目ざとく気付いてしまう中学生でした。ゲイという要素が影響しているかもしれないですね笑。僕の中学時代にもこの堀田ちゃんのような人がいたなぁと、あんまり思い出したくない時期のことがちょっと思い出されました。
この本は当初の予定?とは違い「すごく泣いた!」とはなりませんでしたが、最後の章だけちょっと毛色が異なる話で、そこでちょっとだけ涙目となりました。
ほかに、「感心した」と言っては失礼ですが、そんな風に感じたのが友達同士の呼び方(あだ名のつけ方)と、会話文です。↑で書いた「堀田ちゃん」というのもそうですし、そのほかの登場人物もろもろなのですが、一人一人の呼び名を考えるのって物語の本筋より難しそうな気がしました。僕だったら何だか変な気恥しさがあって、なかなか決められないと思います。あだ名で呼ぶのがちょっと苦手というのが影響してるのかもしれないですけど。会話文も「この年代の子ってこういうしゃべり方だよな~」って思えるような、自然にすっと入ってくるような書き方をされているんですよね。まぁ、男子のしゃべり方は僕のしゃべり方とは相容れませんでしたがね笑。
「友だち」とは何なのか、友達がほとんどいない僕もちょっと考えさせられました。
-----「私はみんなって嫌いだから。『みんな』が『みんな』でいるうちは、友だちじゃない、絶対」----
印象に残ったセリフです。