インドア派Around40ゲイの日記

アラフォーゲイが日々のことや過去のことを書きなぐるブログ

過去の話-4 ---高校時代

暗黒の中学校時代のことまで書いてきました。高校時代はそれに比べると記憶に残っていることが多くない時期です。それって、平穏に過ごせてたってことなんじゃないかな。普段の生活でもちろんイヤなことだってあったと思いますが、少なくとも殴られたりといったことはありませんでした。自分の中ではっきりと男性が好きと今までよりもより明確に意識した時期かなと思います。そんな時代を思い出すままに羅列していきます。

 

・敵を作らないように

中学時代のいじめはかなり尾を引いていました。以前の記事に書きましたが、公立高校で、かつ、あえて自分の学区ではない学校を選びました。自分を知る人が誰もいないところに行きたかったからです。両親にはなぜこの学校なのかって結構聞かれましたが、適当にはぐらかしていました。東京の公立高校って学区ごとに偏差値的にトップ校から一番下の高校まで10校くらいがあって、かつては自分の住んでいる学区しか受験自体ができなかったんですね。それがちょうど緩和されてきた頃が僕の受験期です。何となく、2番手~3番手くらいの高校で、そこまで通学に時間がかからず、印象としてのんびりしているようなところを選びたかったというのはあります。いささかのんびりしすぎだったかもしれません。

無事に合格して晴れて高校生になれましたが、当初はかなり緊張していたのを覚えています。なじむまでにもかなり時間がかかったかな。当たり前かもしれませんが、高校って中学までとは違って学力的には自分と似たような人たちが集まりますよね。スタートダッシュはうまくいかず、高校に入ってから成績は真ん中かその下くらいから出発していたと思います。

そんな中、ともかく敵を作らないようにしたいということは初日から思っていました。いったん敵ができてしまったら、何をされるかわからないっていう思いがあったからです。八方美人になろうみたいな感じかな。八方美人、そこまで悪いことじゃないと思います、八方不美人に比べれば。そのせいか今でも頼みごとをされると断るのが苦手なんですけどね。いい人って思われたい願望があるのかも笑。当初一部の女子からちょっと嫌われた節はありましたが、のちのち誤解があったのかそんなことはなくなりました。で、普通に男女とも話すことはできていたので、友達というか一緒に行動するというか…な子たちもでき、とりあえず孤立するようなことはありませんでした。

 

・どこかに壁を作る

ただ、意識的にか無意識的にか、人と接するのに壁を作っていたのは間違いないと思います。言いたいことを言えるわけではないというか。人生で2,3回言われた言葉「○○(←僕のことです)って、腹割って話すってことしないよね~」。鋭い人にはわかるようです。やっぱりそこにはゲイであるということが大きく影響しているのではないかと分析します。ゲイっていうことを隠していると、嘘をつくことが多い日々だなぁって思います。それは決して悪意のある嘘ではないんですけどね。「好きな芸能人は?」「クラスの中で誰がかわいい?」他愛のない話でいちいち嘘をついている感じがして。ふとしたことからゲイであるっていうことがばれるのが怖かったんでしょうね。

小中学校時代、さんざん「おかま」と言われてきた僕です、仕草や言葉遣いやどこかでそんな印象を与えていたものが、高校に入って急になくなるわけもないでしょう。だけれども高校時代にそういうことを言われた記憶がないのは、周りに恵まれていたからなのでしょうか。良くも悪くも、高校の校風が個人主義的な面があったのも大きかったかなと今振り返って思います。必要以上に口出ししないというか、人は人、自分は自分のような考え方かな。聞こえのいい表現をすれば「自主性に任せる」ということでしょうか。その代わり、授業の課題なんかもほとんどないような感じでしたので、一度勉強についていけなくなると取り戻すのがなかなか大変でした。

腹を割って話さない、本音を話さない、それは確かにその通りだったと思います。今でもそうですしね。でもそれは僕にとっては生きる術のようなものなんだと思います。そのせいかはわかりませんが、今でも続いている高校時代の友達って一人もいません。「高校時代の友人は一生の宝物。」といったことを聞くたびに、自分にはその宝物がないんだなぁと思うことがありますが、でも「高校時代一時でも仲良くしてくれてありがとうね。」っていう気持ちの方が勝ります。それはやっぱり中学時代のことがあったからかと思います。

 

・避けた方がいいと思う人~本能で察知?

「人は生まれながらにして善人である」とはなかなか思えないせいか、本能的にこの人は苦手なタイプ、いじめっ子に近いタイプ、と思った人とはなるべく近づかないようにしていました。本当に本能的=第一印象~短い期間での判断なので、実際はそんなこともないという人もきっといたのだと思います。でもそういう直感って信じてもいいと思っています。

個人的に避けた方がいいと思うような人の特徴っていくつかあります。一つは、いつも人をあざ笑っているかのような感じを漂わせている人。その対象が自分でなくて誰であってもそうなんですけどね。自分がクラスのまとめ役とかではないけれども、何かにつけて文句を言ってきて、そこに多少の発言力を伴っているような人というようなイメージです。女性でもこのタイプは結構いる気がします。二つ目、これは本当に見た目の話で、そんなことないよって人もたくさんいると思うのですが、目つきの印象です。僕が「ドキッ」てくる目つきの人と、「避けたい」って思う目つきの人って実は結構似ていて紙一重なんですよね。具体的な人名を出すのをどうしようかと思いましたがその方がわかりやすいかなと思うので書きますと、塚本高史さんや成宮寛貴さんの目は結構ドキッてさせられます。そんな目で見つめられたら…って思っちゃうような感じです。似たような目つきだと思うのですが苦手なタイプなのが松田龍平さん、松田翔太さんの兄弟やGACKTさんなんかです。ドキッとさせられる人たちも苦手な人たちも釣り目気味の人たちですかね。僕はどちらかというとたれ目気味の人の方が好きかも。三つめは話し方。他を一切認めないような物言いをするような人はあまりかかわりたくないですね。

今でもこの察知力というか何というかは、知らない間に人を判断する基準となってしまっているように思います。

 

・好きな人はできたか?~ちょっと2丁目見学

今まで同年代は対象外の僕でしたが、高1,2の頃同じクラスだった男の子をちょっといいなって思ってました。クラス1成績がいい子で誰にでも優しく親切な人でした。それなりに仲もよかったんですけどね。どうやら優しい人に弱いようで。もちろんそれ以上何かがあるわけでもなく、思い出の1ページくらいな感じですね。ふと思い立ち、その彼の名前でググってみたら某企業の人事をしているようで、昔とあまり変わらない姿で出てきたのでびっくりしてしまいましたよ。

部活は中学時代からの流れで吹奏楽的なことを高1の頃はやっていたのですが、すべて部活中心の生活に疲れてしまい高1の終わりで退部しました。中学の頃もそうでしたが、吹奏楽系って運動部以上に体育会系だったりしますよね。僕は体育会系の雰囲気は大の苦手とするところです笑。

で、時間が空いた僕は、新宿2丁目についてうっすらとした知識だけはあったので、ちょっと好奇心から行ってみようと思い立ちました。高校まで新宿駅を通って通学していたということもありますけどね。でもどこに行けばいいのかよくわからず、苦手な地図を見て何となく見当を付けて、何となく出かけてみたんですけどよくわからなくって。あたり前ですけど「2丁目」という建物があるわけでもないですしね。何度かの挑戦でここかな?というところにたどり着けました。昼間だったせいか人があまりいなくって「来てみたけど、で?」みたいな感じでした。でも、有名な某お店を見つけて、勇気をもってちょっと入ってみて、ゲイ雑誌が置いてあるのを見つけて、心がいろんな意味で高鳴ったような。(置いてあるのを見ただけで、中身はパラパラとめくっただけですけどね、当時は純真な僕でしたよ、はい。お店の人にじろじろ見られている?って感じて、いちゃいけないところにいるような気がしてすぐ出ましたよ。悪いことをしているわけでもないのに逃げるように笑。)で、垢ぬけずかわいくもない顔面偏差値標準以下の高校生の僕がそんなところを歩いていたら、声をかけられたんです。そのときの僕は挙動不審だったに違いありません。一瞬、補導されるのかな?とか思ったりして。そのあたりのことはまた別記事にでもしようかなと思います。

2丁目という町というか区画というか…の雰囲気を見たというか感じたというか…という経験をできたことで当時の僕には十分で、付き合っているらしい男性2人組を見ることもできたし、何回かの社会科見学をして初めての2丁目訪問は終わりました。大人になってからもほとんど行ってないですけどね。

 

・そして大学受験へ

僕の通っていた高校は大学進学希望者がほぼ100%でしたので、そのことで特に迷うことはなかったです。ただ、志望校ははっきりとはしていませんでした。「実家を出たい」という気持ちがあったため、自宅からは通えないところを中心に検討していました。必然的に学費が安い国公立大を中心に考えることになりました。こういうとき、東京出身がかえってあだになり、なぜわざわざそこの大学に行くのかという理由付けが必要となるんですよね。東京ってたくさん大学がありますしね。京都大や大阪大、北海道大、東北大みたいなところでしたら、特別な理由がなくってもいいかもしれませんが、あいにくそこまでの学力は持ち合わせていなかったので。塾にも通って一応勉強して、結果受かった大学もありました。当時、手に職を持った方がいいかなぁと思って医療系の大学も含めて受験していました。本当に受験する学部に統一性がなく、関心があるところを受けていました。日芸を単なる好奇心で受験したのもいい思い出。2次試験で落ちましたけどね。受験料を払ってくれた両親に感謝です。

で、私大でしたが某医療系大学の○○療法というようなところに受かりそこに進学しようかと思ったのですが、両親や学校の先生から「そこの学科に行ったら、その職業しか道がなくなると思うけど、その覚悟はできているか?」と聞かれたんですよね。「う~ん、そこまでの覚悟はない気がする。」と思い、ぎりぎりまで悩んで浪人することを決めました。今思えば、そこの学科を卒業したらその職業以外の道に進むことができないなんてことはないですけどね。「つぶしが効きにくい」という意味でアドバイスをしてくれたんだと思います。これが正しい選択だったのかはわかりません。

 

そして、本当に大好きな人ができてしまった浪人生時代へと続きます。

ものすごく長文になっていました。最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 10年代の応援歌その2

泣いてもいいんだよ (2014) / ももいろクローバーZ (父の日バージョンでどうぞ)


ももクロ「泣いてもいいんだよ」父の日ver.MV