インドア派Around40ゲイの日記

アラフォーゲイが日々のことや過去のことを書きなぐるブログ

幸せってなんだろうね

例の発言が話題になって、何んとな~く「幸せって何だろうな~」そんなことを考えています。まぁ、少なくとも他人に定義されるものではないなぁと思いますね。ひねくれた見方かもしれませんが、なぜわざわざ「生産性」なんて言葉を選んだのか、「話題づくりなのかな?」って感じたくらいでした。炎上するのは目に見えてますよね。それよりも気になったのは、「同性愛=不幸」「常識」「普通であること」といった表現でした。

 

僕は家族には複雑な思いがあります。家族の前でも「自分」というものを演じているなと思うことがよくあります。過干渉な親にはずっと悩まされてきました。姉も苦手でした。本当にこの歳になって、ようやく少しずつ解放されてきているような気がしています。でも、外から見たらきっと「普通の」家族だったんだろうなと思います。僕は前職の仕事上、壊れてしまいそうな家族や再生しようとしている家族の方たちと接することがありました。そのような家族って今の時代ちっとも珍しいことじゃないんですよね。少なくとも僕にとって、家族と一緒にいる時間よりも一人でいる時間の方が幸せです。

結婚していないし子供もいないけれど、幸せに生活しているゲイカップルの存在を知っています。また、面識があるわけではないですが、60歳過ぎた独身女性の作家さんで活き活きとしてらっしゃる方がいます。本当のところはご本人たちにしかわからないにしろ、はたから見て彼らを不幸だとは思えません。

僕は子供をほしいとは思いません。子供よりも動物の方がかわいいと思ってしまう人です。別に子供が嫌いというわけではないんですけどね。でも、自分の子をほしいと思ったことはないです。自分の子がいたとしたら全力でその子を幸せにしなきゃいけないと思うんですけど、自分の遺伝子を引き継いだ子は絶対不幸になるだろうって、もう20年以上思っています。 

 

「常識」「ふつう」これらの言葉をやたらと使う人っていますよね。たとえば、数学の問題の解き方とか、料理の作り方の手順、とかいうのであればわかりますが、ものの考え方や感じ方に「ふつう」も何もないと思うんですけどね。「常識」だって日々変わっていきますよね。10年前の常識で医者に診察されたくないです。「あなたの常識は世間では非常識なんですよ?」ってことがままある気がして、つい自分でも言ってしまいがちな言葉だからこそ余計に気を付けたいなと改めて感じました。

 

僕は「今幸せか?」と聞かれたらわかりません。もっと近くに大切に思える人がいてくれたらと思うことがあるので、その一面を見れば決して幸せではないかもしれないけど、一応定職に就いて生活ができていて仕事も嫌ではないので、その一面を見れば幸せなのかもしれません。まったく同じ環境でも幸せに思える人もいればそうでない人もいるんでしょうね。

僕は元来マイナス思考なので、幸せな時って逆に怖くなるんです。その幸せな関係が、時間が、空間が、壊れた時のことを想像してしまうんですよね。そうなるんだったら、最初っから幸せじゃなくていいやっていう思いが出てきてしまって。かといって不幸になりたいわけではもちろんないんですけど。

 

唐突ですが、僕は声優の林原めぐみさんが好きなんです。もう50代の超ベテランの方なので、名前をご存知の方も多いかと思います。とはいっても、声優業の方は有名どころしか存じ上げないのですが、彼女の書いた歌詞やラジオパーソナリティとしての姿は、見ていて(聞いていて)とても応援されるし、こういう人が上司や先輩にいてくれたらなって思えるような方です。20年ほど前の林原さんの曲の歌詞に↓のようなのがあって、そうだよなぁ…と思い出していました。他人の言葉に惑わされないことって簡単なようで難しいですよね。

 

「自分が主役の人生(ドラマ)くらいは 楽しまなくちゃもったいないわ」

「幸せのかたちそれぞれ違うのよ 他人の言葉に惑わされない 信じるものが私の現実 恩着せがましい偽善(あい)なんていらない」