インドア派Around40ゲイの日記

アラフォーゲイが日々のことや過去のことを書きなぐるブログ

GW2~映画「ある少年の告白(原題:Boy Erased)」を見てきた

この前「ある少年の告白」という映画を見てきました。一部では話題になっていたので、ご存知の方やご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんね。

オフィシャルサイトはこちら↓

www.boy-erased.jp

牧師の父(ラッセル・クロウ)と母(ニコール・キッドマン)を両親にもつジャレッド(ルーカス・ヘッジズ)は、大学生となった。きらめくような青春を送るなか、思いがけない出来事をきっかけに、自分は男性が好きであることに気づく。意を決して両親にその事実を告げるが、息子の言葉を受け止めきれない父と母は困惑し、動揺する。

父から連絡を受けた牧師仲間が助言をするため、続々と家へやってくる。
父は問う。「今のお前を認めることはできない。心の底から変わりたいと思うか?」
悲しげな表情の母を見て、ジャレッドは決心する。「 はい」

母が運転する車に乗り込み、ジャレッドは施設へと向かう。「治療内容はすべて内密にすること」細かな禁止事項が読み上げられ、部屋へと案内される。白シャツの同じ服装の若者たちが弧を描くように椅子に腰を下ろしている。
「救済プログラムにようこそ!」12日間のプログラムが始まった ---。

予告編

youtu.be

アメリカでベストセラーとなった「Boy Erased」という小説が原作ですが、作者本人が経験した実話をもとに描かれています。まず驚かされるのが、同性愛を「治療する」ことを目的とするこのような施設があったことは話に聞いていましたが、現在でもなおこのような施設は存在しているということです(作者がこの施設に入所していたのは2004年とのこと)。アメリカでは、このような施設での「治療」を経験した人が約70万人(そのうち未成年は約半数)はいるとか。今でもある=今でも需要がある、ということなのでしょうか?考えれば考えるほど怖い話ですね。

舞台はアメリカで、宗教的な問題も入ってきますので、話は余計複雑になります。宗教的なことって疑問を感じること自体がいけないことのような、それほどまでに絶対的なものなんだなと感じました。特に、この映画の主人公ジャレッド(ルーカス・ヘッジズ)の父親(ラッセル・クロウ)は牧師で、誰よりも規律を守らなければならない立場にいるのですが、そのことが余計に「息子が同性愛者だ」ということを受け入れなくさせています。この一家の信じる宗派では、まさに「同性愛=罪」とされています。両親(特に父)にとっては、「息子のためを思って」施設に入れているんですよね。映画の中でも、態度がよくない子に対して聖書で殴るようなシーンがありました。「神の教え」というのはすべての免罪符なの?と思わずにはいられない場面でした。

この映画の中で「治療のプログラム」として行われていることには、たとえば、みんなの前で同性愛の行いを告白させるといった描写がありました。海外ドラマで、アルコール依存症の人やドラッグ依存の人が集まる集団セラピーの場面をよく見ますが、それとよく似ているなと思いました。そもそも、それらと同列に扱われることではないですよね。10代前半の子にこんなことをさせたら、罪悪感ばかりが大きくなりそうだな…と思います。オフィシャルページにも書かれていますが、この「治療」を受けることによって、鬱・トラウマ・自殺などをもたらすことが指摘されているそうです。僕だったら…。

 

*以下さらにネタバレですのでご覧になろうと思ってらっしゃる方はご注意を*

ラストは希望がある終わり方です。ラストの方で、ジャレッドは施設から逃げようと母親に助けを求める電話をします。母(ニコール・キッドマン)が助けに来て、追ってきた職員に向かって「恥を知りなさい!」「私もね…」と言うのですが、かなりグッとくるシーンでした。母はどこかで施設に入れることに疑問を持ちつつも、夫の決めたことに異を唱えることができなかったんですね。施設から出た後も、父は「戻れ」と言いますが母はその言葉には従わずに家に戻りジャレッドのことを守ります。

そして4年後、この体験を記した本の出版のためにジャレッドは父と向かい合います。「僕はゲイで、父さんの息子だ。それはどちらも変わることはないんだ」「僕を失いたくないなら、父さんが変わって欲しい」…何だか泣きそうになりました。そしてお父さんも「努力するよ、必ず(うろ覚えです)」と返していたのもよかったです。この4年間に何があったのかはまったく描かれていないのですが、何となく想像はできるかな。当事者としては。

一番のネタバレ、登場人物のサイクスについては是非劇場でご確認ください。

  

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決して見ていて楽しい映画ではないですが、LGBTQの当事者かどうかに関わらず、このようなことが現在でもまだ行われていることは知っておいてもよいのではないでしょうか。自分であることを否定したりされたりって悲しいことですね。「僕は、僕でしかいられない」

ほかのブロガーさんも書かれていたのですが、見終わってから考えると、邦題はちょっと違和感があります。おそらく、「こういう施設があって、こんなことがあった」という「告白」という意味だと思いますが、原題の「Boy Erased」は個としての自分が消されたというような意味合いがあるのではないかなぁと思うんですけどね。そのあたりが消えてしまっている気がして。

ちなみに僕が見たスクリーンはおそらく、その映画館の中で一番小さい部屋なのかなと思うのですが、20人ぐらいしか見ている人がいなかったです。まぁそりゃあアベンジャーズには敵いませんわな。

気になった方はぜひご覧ください。